寄付とは貧乏人でもできるもの
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道徳
寄付とは何か
寄付について話してみたいと思います。
「きふ」には2種類あります。漢字で書くと「寄付」と「寄附」があります。意味は同じです。しかし文章で書くと、公共文や法令文では「寄附」と書き、それ以外の一般的な場面では「寄付」を使うことが、ルールだそうです。
何故こんな風に区別して書くのか分かりませんが、そもそも寄付とは、貧しい人を助ける為のものですが、募金活動を実施している組織に金銭を贈る事を指します。また寄付の一環として品物を贈る事態も寄付と呼びます。
ところで、寄付と似ているもので「義援金」というのがあります。しかし、寄付と義援金の意味は違います。
義援金は、災害などの被災者のために応援する気持ちを込めて金銭を贈る事を指します。
寄付に対する国民的違い
近年は日本でも災害に対する寄付の意識が高まり、お金を出す方も増えてきました。特に収入の多い芸能人や、有名人などの人が どこそこに何千万円寄付したとか聞いたりしますが、しかしアメリカと比べるとその寄付金は100倍の差があるようです。
日本が一年間の総額が2000億なら、アメリカは22兆9000億だとの事で日本の寄付市場において大きな差があります。 その原因は文化の違いとしては、アメリカには「富める者は貧しい者に分け与えるべき」という、キリスト教の精神が根付いているので、多くの人が誰でも積極的に寄付を行います。そしてそれは日常生活の一部なのです。
さて、ここで私が申し上げたい事は、アメリカでは寄付を行う事が日常生活の一部ということですが、実は私もそういう一人なのです。と言っても私がお金持ちということではありません。私は大変貧しい低所得者です。でも私は、自己紹介で申し上げている通り「末日聖徒イエス・キリスト教会」の会員です。
末日聖徒のやってる献金
末日聖徒イエス・キリスト教会では、会員の誰もが平等に世の中の貧しい人々に寄付出来る仕組みとして、「断食献金」というのがあります。
これは、月に一度(主に第一日曜日に)一日の二食を断食して、その浮いた食費を献金するのです。もし一食500円なら二食で1000円という事です。いちいち丁寧に計算して正確な金額を出す必要はありませんが、大体自分で一食分いくらにするか常識的に考えて献金すればいいわけです。その金額は多いとか少ないとか関係ありませんし、強制でもありません。ですから負担を感じることがなく、誰でも簡単にできます。
そして、その世界の教会員から集まった断食献金はとても大きな金額になるでしょう。これをまずは困っている教会員から、そして全国や世界の被災者や、戦争孤児や人々に寄付しております。
神様は、富んでいる者は貧しい者に分け与えなさい、とおっしゃいました。しかし、特に富める者だけでなく貧しくても自分の気持ちと心がけで、誰もが寄付は出来ます。
末日聖徒イエス・キリスト教会の会員は、ほぼ皆さんが、この断食献金をやっております。月にたった一日の二食分のお金を献金すればよいのです。これは最低のルールですから、これ以上の事に制限はありません。
人を助けたり、助けられたりする事は大変嬉しいことです。世界中の人々がこの精神があるなら、戦争など起きないと思うのですが。
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