人生は生まれた時から、その一生の路線はほぼ決まっているという
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人物
点と点をつなぐ
現代の偉大な革新者の一人である、アップル社の「ステ―ブ・ジョブズ氏」は亡くなる6年前、スタンフォード大学でスピーチをしました。この中で人生に基ずく3つのお話をしております。
この時の話しは、「伝説のスピーチ」といわれ有名です。その最初の一つ目のお話を紹介したいと思います。ここで話されている事は、「人生は将来の事は見えないけれど、今現在の事に必ず点と点が将来いつかは繋がる」ということです。
(伝統のスタンフォード大学スピーチ第一話)
私は リード大学を最初の半年で中退しましたが、その後も18カ月ほど もぐりの学生として大学に居座り、その後退学しました。では、なぜ私は中退したのでしょう、これが将来に繋がる事でした。
始まりは、私が生まれるよりも前でした。 私の産みの母は若い未婚の大学生だった為に、私を養子に出そうと、決心していたのです。 その時彼女がこだわったのは、私の養子先は 大卒者の家庭であること、ということでした。
同じころ、養子待ちのリストに載っていた私の両親が、真夜中に電話を受け「こちらに予定外の男の赤ちゃんがいます、希望されますか?」と聞かれたのです。両親の答えは『勿論!』でした。
わたしの産みの母は、私の両親になるその夫婦が、その母になる人は大卒ではなく、父になる人は、高校すら出ていませんでした。その事を後で知った彼女は、養子縁組の最終書類に署名する事を拒否しました。
そして数カ月後、その両親が 私を大学に行かせる事を約束しましたので、産みの母はしぶしぶ承知しました。 これが私の人生の始まりでした。
そして17年後、私は本当に大学に入学しました。しかし、世間知らずの私が選んだ大学は、スタンフォード並みに学費の高い大学でした。 そのため労働者階級である両親の蓄えは、私の学費の支払いで全て無くなってしまいそううでした。
6ヶ月後私は、大学に価値を見いだせずにいました。 自分が人生でやりたいことは何なのかさっぱり分りませんでしたし、その答えを見つけるうえで、大学でどう役立つのかも、全く分りませんでした。
それなのに、自分はそこに居て、両親が生涯をかけて蓄えたお金を、全て使い切ろうとしていたのです。それゆえ私は中退の決断をしたのですが、それで全てがうまくいくと、信じていました。
そうした決断をする事は、その時はかなり恐ろしかったのですが、振り返って見るとこれまでに下した決断の中で、最良のものの一つでした。
中退した途端、興味の持てなかった必修科目は取るのをやめて、もっとはるかに面白そうな科目に、もぐり込むことが出来るようになったからです。
夢のようなことばかりとは行きませんでした。私には、寮の部屋もありませんでしたから、いろいろな友人の部屋に寝ていました。
コカコーラの瓶を店に返して、預け金の5セントを戻してもらい、それで食べ物を買うということもしました。 また、毎週日曜日の夜には、7マイル(11,3km) 歩いて町の向こうまで行き、ハレークリシュナ寺院で週に一度の御馳走にありついたものです。
そして、好奇心と直感に従うことで出会ったものの多くは、後になって掛け替えのないものだと分りました。その一例を御紹介しましょう。
当時のリード大学は、おそらく国内最高といえる「カリグラフィー」教育を提供していました。
キャンパスの至る所に見られるポスターのどれもが、戸棚一つに貼られたラベルのどれもが、美しいデザインの文字で手書きされていたのです。
わたしは既に中退していて、普通の授業を取る必要はありませんでしたから、カリグラフィーの授業に出て、そのやり方を身に着けようと心にきめました。
セリフやサンセリフといった、書体について学びましたし、色々な文字の組み合わせに応じて、字間スペースを変えるやり方や、素晴らしいタイポグラフィーを、その素晴らしいものたらしめているのは何か、といった事についても学びました。
それは美しく、歴史があり、科学がとらえきれないような芸術的繊細さを、宿したものです。
ですから、私はそれに強く惹かれました。それを人生で実際に役立たせたい、などとは全く思っていませんでした。
しかし10年後、われわれが最初の「マッキントッシュ・コンピューター」を設計している時に、それが一気に私の脳裏に蘇ってきたのです。
そこでわれわれは、設計段階でその全てを、マックに取り込みました。 マックは美しいタイポグラフィーを備えた初めてのコンピューターになったのです。
もし大学を中退していなかったら
もしも私が大学であの授業にもぐり込んでいなかったら、マックが複数の書体やプロポーショナルフォントを持つことはなかったでしょう。それに、ウインドウズは、マックをまねただけですから、パソコンがそれらを持つこともなかった だろうと思われます。
もしも私が中退していなかったら、あのカリグラフィーの授業にもぐり込むことはなかったでしょうし、パソコンが現在のような素晴らしいタイポグラフイ―を、備えることもなかったかも知れません。
勿論、私が大学生だった頃は、将来を見据えながら 点と点を結ぶ、ということなど出来ませんでした。しかし10年経ってから振り返ってみると、とてもとてもハッキリ見えました。
もう一度言いますが、将来を見据えながら、点と点を結ぶということなど皆さんには出来ません。出来るのは、振り返りながら 点と点を結ぶということだけです。
ですから皆さんは、点と点が将来何らかの形でつながる、と信じるしかないのです。皆さんは何かを信じるべきです。
「自分の勇気であれ、運命であれ、人生であれ、カルマであれ、何であれ」
何故なら点と点が将来いつかは繋がる。と信じることで、たとえそれが人並みの人生街道から外れることに繋がろうとも、
自分の心に従うことに自信が持てるようになるからです。そしてこのことがもたらす、違いは大きいのです。
如何ですか、私はこのスピーチを読んだ時 納得しました。
自分の人生の将来は見えないし、分らないです。しかし 今現在の事は、必ず将来の人生に繋がっているのです。だからいつも一生懸命やっておく事が大切だと思います。
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